教職大学院生まっちゃの雑感

「みすたーの雑感」の姉妹ブログです。

高校 大学受験のふりかえり

英語で振り返る人生記

第13回です。

・・・

今回のお話の時間軸: 高3

・・・

高3は怒涛の1年間でした。

 

 

 

 

これくらいの時期に同じコースの某女子と

いわゆる受験友達になりいい感じになって

一緒に帰ったりしていました。

 

で、夏休みに急に連絡が途絶えて

スタプラから消えたので焦って変な感じに

なったという黒い歴史を添えておきます。

 

大手の衛生予備校に高2冬から通いました。
夏休みは予備校で国語を勉強しました。

古典が苦手だったので勉強しました。

 

予備校がまあ冷たい環境だなと思って

今が耐える時だ。人生に必要な時なんだ。

と堪えながら過ごしていました。

 

笑いもないし、話すこともないし。

正直なんでぼくがこんなところに

いなきゃいけないかな…とか

しばき倒されてもいい感想を持ってました。

 

苦手と向き合うのもしんどかったですね。

理系は勉強したくないから

文系教科だけにしたものの

 

国語は漢文も古文はよく分からん…

世界史もなぞるのは楽しいけど…

英語も話す書くは得意だけれど…

と何か中途半端で面白くない日々でした。

 

友人関係も運動部の集まりには呼ばれず

残り物みたいな感じにされて(その構図も失礼)

話も場を繋ぐだけで話すことも特になく…

 

ぼく×高校は相性が良くないと思います。

だから部活のことも文化祭のことも

思い出という思い出はないのです。

 

さて、受験シーズンになりました。

 

秋には海産物で有名な大学の

国際系学部を公募推薦で受験しました。

 

英語の時間での出席は必須ですが

得点のいかんに関わらず準1級で満点

年内に大学生の切符を得ました。

 

そして父の単身赴任がこのタイミングで解け

自宅で一緒に過去問を見てくれました。

これは今となっては大きなことでした。


年を越して1月1日には天神様の所へ。

高校受験の時からの験担ぎです。


「外国語学部に合格できますように」

 

センター試験も受けましたが

緊張で気分が良くない中で受験して

大分の太平洋にある大学と

陸上部が非常に有名な大学は

散々な結果に終わりました。


私学の試験は2月に集中してありました。

①政策系学部の英検利用(国 英 歴)×2

②外国語学部の個別型(国 英 歴)×1

③外国語学部の英検型(国のみ)×2

の順で全部で5回受験しに行きました。


①②と③は会場が別でした。


③の場合

英語の時間は会場にはいられないので

昼食を挟んで午後からの参加でした。

めっちゃ寒かったんですが。


大きな会場で300人はいたであろう

受験者の横に1列だけ午後から参加の

英検利用者の座席がありました。


特別感はありましたが

この会場から合格できるのは

1人いるかどうかの世界です。


国語の問題は全てマーク式で

現代文が1問10点×10問

古文が1問5点×10問

最後に100点満点に圧縮します。


1日目は国語80点/100点

トータルは280点/300点


2日目は国語90点/100点

トータルは290点/300点  でした。


2日目は各予備校で正答が割れるなど

最後まで分からない状況でした。


合格発表の日です。

結果は①から順に発表されていきました。


政策系学部 不合格


これで滑り止めか外国語学部のどちらかです。


国語学部個別型 不合格

 

(終わった。)

 

誰もが諦めていたその時でした。


ピーンポーン


自宅に郵便屋がやってきました。

手にはレターパックを持っています。

親が慌てた様子で荷物を取りに行きます。


送り主はその外国語学部でした。


封筒を開けました。


結果:合格


「やったああー」


一家 総大喜びでした。

大好きな大好きな外国語学部に

合格を貰うことができたのでした。


ちなみに280/300点を取った日は不合格

合格最低点は9割でした。


私が受かったのは290/300点を取った

試験最終日の受験でした。

ーーー

【小話】

さっき登場した、黒い歴史を作られた女子

うちの学校からは高嶺の領域でしたが

早く稲に田んぼを植えたいんだとか。

そんなこと言うやつが受かる訳もなく。

まったく。

ーーー

かくして高校のボーナスステージ

予餞会と卒業式があり

私の高校生活は終わりました。

山もあり谷しかなかった高校生活

今振り返るとよく耐えたなと思います。

 

2019年 2月28日 高校を卒業しました。


晴れやかな気持ちとともに

色々あった高校を去りました。


私は第1志望の外国語学部へ進学

英語塾のR先輩の後輩になりました。

インスタも繋がっていました。

 

卒業の後私に関わってくれた人たちも

様々な節目を迎えました。


まず1年の担任だった英語の先生が

結婚を発表、苗字がカタカナになりました。


2-3年の担任だった英語の先生は

次の1年生の担任になりました。

 

このクラスではないですが

近所からも知り合いが入学しました。

その子と同じクラス、同じ部活になり

仲のいい友人なのが弊団体のおふじです。

 

この先生、今では偉い人です。


学年主任のS先生は翌年校内昇進で教頭へ

現在は他校で校長をしておられます。


この数年後、大規模な異動があり

当時お世話になったほぼ全ての先生が

学校を変わっていきました。


3年間同じクラスだった人が1人だけいました。みっきーという女子です。

彼女は推薦で東京のめっちゃ賢い大学へ

空いた時間に校内の図書館に籠り

蔵書のほとんどを読破したとか。


英語塾の先生だったもえさんは

修士を取得し、国際機関へ就職


同時期に教えて貰ったちゃれりーは

現在アメリカの日本企業に務め一児の母に。


一緒に英語を勉強した英語塾の子も

ほとんどが2019年3月で卒業


あんちゃんは教室を突然去ったようで

行方不明みたいになっていましたが

LINEでは引き続き連絡をとっていました。

一浪を経て医学部へ進学しました。


付属のYちゃんは現役で薬学部へ合格

レッスン一緒に受けたことないのに

インスタでフォローをくれて

今も繋がっています。

 

このように1人1人が
それぞれの道を歩いています。

 

とか言ったらなんか堅苦しくて

気持ち悪い人みたいな雰囲気ですが

SNSで繋がってるので様子は知ってます。

便利な時代になりました。

 

次回からいよいよ最終章

大学生活の人生記となります。
つづく